粋な人

「男の作法」という本がある。

 

男の作法 (新潮文庫)

男の作法 (新潮文庫)

 

鬼平犯科帳」、「藤枝梅安」、「剣客商売」等、日本を代表する時代小説の大作家、池波正太郎さんのエッセイだ。正確には池波さんの話を編集者がまとめたものだろう。

粋である。

大人とはこうであらねばならぬ。

そういう立ち居振る舞い、見識が語られている。

決して押し付けることなく、池波さんはこう教わってきた、こう言う風に考えてきたんだと言うことを語っている。

その話題がまた、多彩だ。

蕎麦の食べ方、お寿司屋さんでの振る舞い、着物の着方から家の建て方まで。

あくまで、池波さんの世代はこうだったと言うことなのだが、とても参考になる。と言うより憧れる。どう振る舞うか、どう考えるのかのルールが確立されていることに。そこに共通しているのは上品さだ。知識をひけらかさず、どういう立場にあっても、他者に気遣いを忘れない。それは日本人の身上とされる「察しと思いやり」なのだろう。

 

「男の作法」というタイトルは一見して、蘊蓄本で「これはこうだ」、「ああしろ、こうしろ」といった説教臭い本に思える。だが、決してそうではない。どちらかというと、大人として「周りにどういう気遣いをするべきなのか」を語っている言葉だ。

 

例えば、食べ物屋さんに行くときは、料理人、常連のことを考えて振る舞う。そのほかにも、玄人に対して業界用語(寿司屋では「あがり」だの「しゃり」だのと言わずに「お茶」、「ごはん」で良い・・・などなど)は使わない。などなど大人としての振る舞いが紹介されていく。

とかく「作法」というと、「通ぶったルール」だとか、「薀蓄(うんちく)」が多い嫌いがある。「男の作法」はそういうことではなく、もっと本質的な「振る舞い」を教えてくれる。そこに共通しているのは、「品性」だ。

池波さんの話を読んでいて思うのは、いくら裕福であろうと、知性を持っていようが、「振る舞い方」ひとつで「粋(いき)」にも「無粋(ぶすい)」にもなりうるということだ。池波正太郎という大作家を作品を通してしか知らない。とても粋な人だったのであろう。

できうることなら「粋な人」と言われたいものである。

 

そういえばこの本に出会ったのも、以前紹介した「北の無人駅から」と同じく紀伊國屋書店札幌本店だった。良い出会いに感謝しています。